志賀 雪予報外れの烏谷山 ’18.2.4 晴

 志賀駅-中谷出合下-大岩湧水地-荒川峠下道標地-960展望地-烏谷山-荒川峠
 -堂満岳南稜眺望地-荒川峠下道標地-中谷出合下-志賀駅

 今日は立春である。暦の上では春だというのに、どうやら西日本は一級の寒波らしい。でも近年の天気予報は比較的信頼おける情報となっているようだ。そのように信じて今回も比良山塊の堂満岳一帯のピンポイント予報を頼りにしていたのだ。その予報によれば日本へ今冬最強の寒波が来る様だ。4日ころからまたぞろ降雪がきそうである。それによれば夕方あたりから雪が降ってきそうな情報となっていた。

 しばらく雪の山歩きから遠ざかっているために、今日はなんとしても堂満岳南稜をやっておきたいとの考えであったのだ。それには早朝から歩けば下山しだしてからの降雪であればしのげるだろうとの考えとしていた。ところが、降雪予報は次第に早まって13時ころには降り出してくる予報となりだした。これはやばい!、ならば歩きやすい堂満の南側の烏谷山からとやま(1076.7m)へ登ってこようと予定変更であった。こちらだけであればコース的にはアイゼンがいるほどの箇所は経験ないのでスノーシューだけで志賀駅を6時半のスタートであった。

 1時間も歩けば登山口の荒川峠道出合ともいわれていた中谷出合下である。足元には昨日土曜日に山スキーとワカンの二人組のトレースがはっきり残っていた。この道では踏み跡などまったく当てにはしていなかったのだが、ま、無いよりは、硬くなった足跡のあるにこしたことはないと思いながら歩こう。ところが空は青空が広がり、気温も雪が午後から降り出すような感じの寒さではなさそうだ。
 大岩谷分岐前後のあたりには昨日あたりだろうか雪崩があった模様で、その跡のデブリ上を二人の足跡が続いていた。でもデブリほど気持ちの悪いところは出くわしたくはなかったのだ。でもしかたないそのデブリの上をこちらも歩くこととなり、しばしば上斜面を見上げながら今日は雪崩は大丈夫だろうかと気にしつつ歩いた。
 ところが左上部前方には本日の高みである烏谷山の頭が、青空をバックに真っ白で見下ろしているではないか。この時8時前の時点であったので、雪が昼過ぎあたりから降ってくる天気に変わるのだろう・・くらいな中途半端な気持ちで歩いていた。もちろんその先の大岩下部から湧き出すこのコース唯一の水場で喉を潤そう。

     
左前方に烏谷の頭が白い    大岩の下から水が湧いて流れる 

 この水場から上には延々と単純な植林地帯となることを承知しているために、しっかりと行動食や水分補給を済ませてから、いよいよ薄暗い植林帯歩きが始まった。こちらは比良山麓東側の荒川集落から伸びて、比良稜線にある荒川峠へと続く荒川峠道が古来より山仕事の作業道として整備されたのであろう。
 そして昨今では登山者の荒川峠道として破線から立派な実線扱い道となっている。だが、残念なのは長い植林帯がうら淋しい。それでもなんとか1時間ほどでブナや疎林の自然林まで上がって来た。ところが空は青く、風すら吹いていない。例年これまでであれば冬季にこのあたりまで上がれば風花が見事な風景となってくれ、これぞ雪山へ上がって来たのだぞ、というような景色の記憶ばかりだったのだが、今日は全く長閑で気の抜けたような雪山であるではないか。

     
植林から自然林に変わって・・  荒川峠下道標地の雪少なし  後ろは打見に蓬莱と右に比良岳が 

 荒川峠手前の立派な道標地あたりの積雪はそんなに多くはない。そして今日は荒川峠へ直進ではなくて左折して960展望地へ向かおう。その左折点あたりから反対側の疎林越しには堂満や釈迦岳が見られた。そして10分もしないで展望地であった。比良山塊にはあちらこちらに立派な道標や有事の際のレスキューポイント(以下RP)の看板が目につく場所へ掲示されているのだが、展望地のこちらはRP縦走14地の看板が木の幹に貼られて下がっていた。

     
960展望地への途中堂満に釈迦が    960展望地はRP14看板あり 

 この展望地からの眺めは見事な山並みが目の前に続いてくれる。なんだ、今日の13時ころから雪が降る等予報は完全に大ハズレではないか。「エ~、しまった・・だったらアイゼンを抜くんではなかった。堂満は充分登れたやないの・・?、予報外れを嘆いてもしかたない。責任は自分にあり、これぞ改過自新かいかじしんだ。。わずかなザックの重さを減らそうと考えた自らの責任であったのだ・・。」と大きな自己反省となってしまった。
 でも、目の前にはすばらしい眺望が繰り広げられていた。それに本日のピークである烏谷山が見下ろしている。もちろん、南には琵琶湖バレーのスキー場の白銀が広がっていた。ここで少し休んで、天気予報外れのことよりも、目の前の白い稜線をこれから歩くのだとワクワクしながら眺めるように気持ちを切り替えることとしよう。。

 
960展望地からの山並み、右奥がこれから向かう烏谷山だ~ 

 烏谷山手前の雪庇歩き

 そしてこの後にはこれぞシュー歩きの楽しみを存分な眺めとともに遊ぶことができた。しばらくでRP15が目に入り、これを見れば烏谷山には後10分ほどと近いことを覚えていた。「お~烏谷山はすぐだな・・」

     
 歩くのは雪庇先よりを進もう・・ 琵琶湖南方面が眩しい~  RP15の看板地なら山頂は近い 

 するとそのとおりで烏谷山の道標地へ着いたのだ。960展望地からは40分もかからなかったようだ。だがRPの看板がない、ここにはRP16の看板が、道標そばの古木のシロヤシオの幹に取り付けられていたのだが、そのスプリングの跡形のみしか残らず、おそらく今では看板は雪の中となっているのだろう。でもその看板が見当たらないがここは烏谷山だと分かる道標があるために、雪の中に来られたどなたにでも分かることから支障はないだろう。そのすぐ上が山頂(10:10~25)であるのだ。

 こちらの山頂は冬季にいつやってきても先客がいることは、まずほとんどない静かな可愛い山頂がお気に入りである。ところで、烏谷山と書いてカラトヤマと読ませているのだが、この名の謂れは、どうやらこの頂の東側中腹から伸びる大岩谷支流のカラト谷からきているようだ。そもそもカラトという地名は水のないカレ谷の意味でもあるらしい。

     
 着いた!、山頂直下の道標    すぐ上が烏谷山

 山頂に上がれば、もちろん山名札や標識はもちろん、山頂にも背の高い木は皆無であり、小樹ばかりのために全て雪の下である。こちらはひとしきり四周の展望を楽しもう。北側の堂満岳から武奈ケ岳それに南の蓬莱山などは見慣れているとはいえ、これだけ澄んだ空気の青空の眺望がうれしい。よ~く見れば奥には京都北山の愛宕山も見えていた。

 
右が北東側の堂満岳、左がコヤマノ岳奥に白銀に輝く比良の雄である武奈ケ岳だ~ 
 
 南よりに打見山の右奥へ蓬莱山の白銀が呼んでいる~・・・笑

 さすがに小さな山頂で西北からの強風は寒く吹きつけて、「これはたまらん!、昼は960展望地へ戻って食べよう・・。」との思いで山頂を辞することとしすぐにバックであった。

     
 足跡を戻って琵琶湖にダイビンクだ・嘘゙    先の白い路上が展望地で

 烏谷山から20分ほどで展望地に戻ってきて、さぁ、昼飯(10:45~11:25)にしよう。昨夜の節分の恵方巻を、山用にと余分に準備して持たしてくれたカミさんに感謝しながら、のんびりと寒さ除けのフードを被って、かぶりついて昼食タイムとしていると、後ろから「こんにちは!」と声が聞こえた。

 振り向くと背の高いガッチリとした50代前の方が、「琵琶湖バレーはあれですよね・・?」と聞かれた。「え~、そうです。この雪道にこれから琵琶湖バレーまで行くの・・?。まだまだ大分あるよ~」といえば「坊村から武奈に登って来ました。まだ昼前だから行けますやろ・・」「え~武奈から来たんですか、それはすごい!ですね。烏谷山まではこちらの往復トレーありですが、その先はノントレですよ。充分気をつけてね・・」との会話でその御仁は歩き始められた。
 よく見ればザックには折り畳みシートが括りつけられており、「今晩どっかでテント張るのだろうか・・?」と感心しながら見送っていた。でもワカンやシューは見えなかった。どうやらアイゼン一本での雪歩きのようだった。もっとも今日の温度であればツボ足で歩いているかも知れないなとその健脚ぶりには驚きであった。その後も斜面を見上げていると目の前の雪庇を順調に上がってすぐに姿は消えてしまった。

 「よし、こちらも堂満岳に登ろうかな・・」と一瞬思ったのだが、「いや、待てヨ、単独行の山歩き、特に雪山歩きではそう予定を簡単に変えるものではない!」という言葉を思い出した。「やっぱり時間的に問題だろうと、しからば荒川峠から尾根に上がって南比良峠手前の尾根から堂満岳南稜を展望して来よう・・。」と部分変更だけにして堂満岳南稜展望地あたりまで向かうこととした。
 途中、変な部分をツボ足トレースが目に入った。「やっ、この足跡は方角的に先の方のものではないな・・、とすればこの人はどちらへ向かったのだろうか・・?」と思いながら、こちらは荒川峠へ向かったのだ。

         
縦走路上の荒川峠道標地    縦走RP-13地の看板    まだまだ雪庇は上品だ・・ 

 道標を撮っていると、峠上からまたまた「こんにちは!」と声がした。「お~これは珍しい、こんなところで人に会うのは久しぶりだな・・」とすぐにこちらも尾根上に上がり、その方のそばまで行き話し出した。「大阪からやってきて、志賀駅より登って来たのですが・・、ちょっと堂満の方にトレースがあったので行ってきたんです。」というじゃないですか。「先ほど南の方を歩いていたのはお宅でしたか・?、どうりで、それで堂満岳が見えて登らなかったのですか・・?」というと、彼は「南比良峠へ降りるには西側を巻くのですよね。でもトレースは東側から上がって来ていたので、人のトレースを歩くのもなんですから、止めてこちらへ戻ってきたところです。」「そうですか、こちらは烏谷山に登ってきたので、これからその堂満岳南稜が展望できるあたりまで行くところなんです。その南比良峠東側を巻いて上がって来た方は健脚な方で琵琶湖バレーまで行くといって別れましたよ。」と話しているとまた一人がシュー歩きでやってきて挨拶だけで烏谷山方向に向かったようだった。こちらは大阪の方とは荒川峠上で別れ、堂満南稜を見に行こう。

         
南比良峠東上の尾根から堂満南稜     こちらの尾根上の雪庇も上品な姿    雪庇が切れる所に踏み跡が東から

 これまでに二度この東側の巻道を下りてはいるが、「本来の予定ならここを東へ巻いて南比良峠から南稜を登っていたのだが・・残念!」と、またまた気象予報外れの事態を思い出してしまった。そして烏谷山山頂から見た景色をもっと間近かから堂満南稜とコヤマノ岳にシャクシコバノ頭、その間の奥の小さく白いのは武奈の西南稜や左奥に御殿山などの山並みをほしいままに眺めていた。

 
南比良峠東上から堂満南稜、コヤマノ岳、西南稜、シャクシコバノ頭、御殿山

 こうして堂満岳南稜を心行くまで眺めて荒川峠へ引き返して、荒川峠道標下より長い植林帯を中谷出合下(13:25~30)へ下山したのだが、荒川峠で別れた大阪の人の帰りの足跡は見えなかった。やっぱりこちらが「烏谷山に登って来た」と、聞いてから「俺も登ろう」と、そちら方面に登って行ったのだろう、と勝手な想像をしていた。
 その方は先週の日曜にもこっち方面に来たし、前に3月下の残雪期にも金糞峠から荒川峠へ縦走してこの峠を降りたとも話していた。でも話し的にはあまりしっかりとした内容の山歩きの仕方ではなさそうであった。特に冬季の山歩きにおいてはいきなり夏道を知らないコースでの雪山歩きは慎重であるべきだろうと「人のふり見て我がふり直せ!」の思いとなった。

 こちらは下山時刻が早かったので、志賀駅(14:25~40)には下山口より超のんびり歩きで丁度1時間もかかって帰って来た。山麓の荒川の信号東側から振り返ると丁度真上に三つの頭が並んで見え、その一番左の白く輝くのが烏谷山だとすぐに分かった。でも、今日はちょっと変な山歩きだったナァ・・との気持ちで駅に向かっていた男がいた。

 
荒川の真上に頭を見せる烏谷山 

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