朽木大野 植谷峠から蛇谷ケ峰 ’18.3.17 晴

 出町柳=朽木大野-P437-P535-P792-植谷峠-P816-西峰反射板-蛇谷ケ峰-ボボフダ峠-畑

 浅き春のころ、どうやら今年は残雪の春山を楽しむことなど低山では願いは叶いそうにない。でも、やっぱり方々のコースの比良遊びはやっておきたい。いつものように「京都バス朽木便が、三月中旬の土日の今日から運行開始だ」と、喜び勇んで出町柳へいそいそと出かける。
 そこには邂逅相遇かいこうそうぐうがあった。知り合いのリーダー以外に過去何度も一緒した方二人がおられ、これは奇遇だと話が弾んだ。どうやら、みんなは大悲山の「花脊の三本杉」へだと元気な顔が並んでいた。もちろん、その地は樹高日本一の62.3mと公表された巨樹であり、公認発表以来このところ見物人が途切れないとのことらしい。いずれは再訪したいものだ。バス便を分けてこちらは反対の朽木の蛇谷ケ峰(901.7m)へ向かおう。

 朽木便は全員座ってもまだ空いており今日の客足は淋しい。それはそうだ、これほど快晴の日なのだから雪も消えた山へなど行かずに他に行かないと・・とのハズである。数少ない登山者を平や坊村で降ろせば、もうこちらの貸し切りである。
 こちらは定刻どうりに朽木大野で下車(8:54)し、登山口の高乗寺墓地の杉林から取りつこう。すぐに激急登が続き、それはP437あたりまでだから何とか辛抱できる。でも作業道か獣道なのか踏み跡はハッキリするほどには見えないし、これでは倒木、落枝など散乱で無雪期は雪のありがたさが良く分かるなぁ・・、と思いながら息せき切って登ることとなる。
 炭焼き釜跡が過ぎ、その後に大分上ると長方形の大岩が転ぶ地は右側を通過しよう。とにかく道はない、もちろん蛇谷西峰反射板地まではずっと道はない。でも、やっと平な地に上がれば、ど根性ブナの木を目が追うことになる。ところが、去年は元気であったのを見ていたが、どうしたことかすっかり元気がなそうだ。どうやら犯人は鹿だと分かった。首の届きそうな高さの美味そうな所だけだが樹皮がすっかりはがされ、細くてまだ若いブナの木は痛い被害を受けている。せっかくここまで折れ曲がりながらも、元気に頑張って成長してきたのだろうが、このような状態では今後が心配だ。なんとか頑張って生きていってもらいたいものだ、と願わずにはいられない・・。

         
 登山口は高乗寺裏の墓地から    急登地途中の大岩は右横を歩こう    最初の標高点地のど根性ブナ

 ここまでの急登を済ませれば、後はそんなにキツイ登りはほとんどないと言っておこう・・。次の標高点の535を踏み、その後はやや登って行けば植林地が目の前に出てくるあたりからはそれなりに登って行くこととなって、その後で目の前が急に明るくなりだし、空が開けてくるのだなと感じだせば、右側の暗い植林地と別れて、これまでの東向きから、方角を変え北東尾根に乗ることとなってその稜線はすぐにP792の標高点地となる。

 そこで振り返る南にツルベ岳の奥には、比良の雄であるまだ白さも残る武奈ケ岳が見えている。しかし、積雪期にはここでびっくりするような眺めに大感動を得ていたのだが、今日は手前の雑木がうるさく感動のカの字もない。トホホだ。反対側に向き直ればこれから向かう蛇谷西峰の反射板が小さく見え、エ~、まだあそこまで歩くのか・・と思ってしまうのはいつものとおりであった。

     
P792からの武奈は枝が邪魔   これからあの稜線まで行くのだが・・ 

 こちらの稜線は昔からの植谷の古道であったのだろうか、道形すらみあたりそうにないが、杉の古木が数えきれないほど随所に林立しており古道の趣き充分ありそうだ。とりわけ↓の兄弟杉というのかそれとも夫婦杉というのか、それはそれは立派な古木であり、なかなか毅然たる風格を示しているように感じた。その杉のあたかもご神木のような樹肌を撫ぜまわして元気をいただこう。「最後まで気を抜かずに歩くんだよ・・」と言ってくれたように感じ、その場を名残の袖とした。

 
植谷峠の神木か・・ 

 大杉地からゆっくり15分ほどで、本日のお目当て地である東側のCa770の植谷峠到着(10:48~58)であった。その峠あたりには何の標識も名札も上がっていない。要するに「植谷峠」なる表示は一切なかった。だが、境界杭だろうか20cmほどの低いコンクリーの頭が埋められていた。
 この周りには昨年やってきた時には、見苦しいほど赤テープや赤いペンキが何本かの幹につけたばかりのようだったのだが、一年経ってそれぞれ薄くなってあまり目立たなくなっていた。せっかくだから、眺望もこれといった見どころも、ほとんど感じられない植谷峠だが、腰をおろして休憩しながら昔の旅人はこのような山中越えは老いも若きも、誰でもが平然と成し遂げていたのだろうか・・?、などと取り留めなく思いを繰り広げているのであった。それにしても「昔の人は何と偉かったのだろうか。」

     
 植谷峠には人的字句は見られない   あるのは赤いテープ、ペンキや杭のみ 

 しばらく歩けば、目の前に昭和53年設置で40年ほども経過しており、「造林公社営林地」の白板が倒れそうな姿で目についた。このコースにはこの白板以外にはこれといった人工物は見当たらないので、逆に唯一の代物だと変な物探しの山歩きみたいな気持ちであったのだ。
 でも、この白板も目を凝らせどもほとんど字句も消えかかっており、読めもしないほどで「鰾膠にべもしゃしゃりもない」代物だった。看板からすぐで816へ上がるもやっぱり樹々の枝うるさくどうやらこの一帯の尾根はどこまで行っても状況は変わりそうになかった。

     
白板の奥は標高点P816    P816から南も小枝うるさい武奈 

 このコース後半では珍しく、P816が過ぎれば自然林と植林が交互に出現し、下手をすればこの先はどう進むのかナ・・と地図をポケットから出すハメとなるほどの歩きもあったりして、これはやっぱり前半が優しすぎた道だったのだから等と思ってしまうほどでもあった。
 それでも反射板に近づけば雑木の自然林の登りとなって、「どっか何か珍種はないのか・・」とウロウロしだすなど喜々として登りをやっつけよう。でも本音として、春にはコシアブラの新芽をテンプラにしたいなぁ・・などと極美味なる経験談をしたいがための、コシちゃん狙いを定めておきたい。笑

     
 コシアブラが威勢いい~    ツツジ類だろうか、反射板も近い

 こうして最後はどこでも同じだが、ちょっぴり急登だがもうゴールは近いために現金なもので元気そのものだ。こうして双耳峰の蛇谷西峰到着(11:25)である。そしてわずかに東へ前進で展望台地から蛇谷ケ峰本峰が目と鼻の先である。

     
 蛇谷ケ峰反射板地から武奈を   北西の壁となる蛇谷ケ峰 

 すると山肌には少しばかりの霧氷景色が見られたが、どうやらこちらは北西の壁となっていることから、厳冬期の強風時にでもやってくれば、素晴らしき眺めが期待できることを知ることができた。今後の厳冬時における蛇谷山行の秘術を忘れないようにしたいものだ。この霧氷の白い花であるが、西峰から蛇谷本峰への登り坂ではこのような霧氷↓だったが、もっとも今日ばかりは快晴の昼前であったことから、融けかかっていたために誠に残念であった。

         
西峰から本峰へのコルから見上げる    本峰への急坂に広がる樹氷     蛇谷山頂にも名残りの樹氷

 やっと頂きへ上がって来た。ここは奥比良の雄である蛇谷ケ峰(11:45~12:45)に到着したのだ。それも貸し切りの蛇谷ケ峰とは、何度も来ているのに一人きりでの頂は初体験であった。最初に目にするのはやっぱり馴染みの武奈方面である。今日のあちらはそんなに登山者はいないだろう。坊村バス下車が4人だったし・・。続いて北から東への山並みの眺望である。先ずは琵琶湖側の鈴鹿山脈北部の藤原、御池に霊仙岳、それに滋賀県最高峰の伊吹山だがこれらは黒く見え雪はなさそう。

 さらに北東には御嶽山はいくら目をこらしても見えなかったのが残念であった。その左には一山白銀に輝く滋賀県第二位金糞岳の雄姿は見事であった。その左手には薄く白っぽい横長の能郷白山も見え、さらに左に圧巻は遠く白いあの白山が春霞に負けじと見せてくれていたのだ。もちろん、この白山の思い出はつきないほどあるのだが、その白山の思い出を語るは別途の機会としよう。
 そして滋賀県ナンバー3の横山岳も残雪はあるようだ。さらに左に大御影に高島トレイルの雄である三重嶽などの山塊が白くて大きい。武奈ケ嶽に三十三間山は雪なさそう、さらに西向きへは独立峰の桜谷山のとんがりが目立ち、百里ケ岳からおにゅう峠が続き、さらに三国峠と767で双耳峰に見え、それから蛇谷から真西方向に高島トレイルのゴールのピークである三国岳が鎮座しているはずだ。

         
蛇谷からの武奈ケ岳が指呼の間    三重嶽、大御影、横山、白山、能郷白山、金糞岳    右から百里ケ岳におにゅう峠、三国峠など

 ひとしきり山座同定を楽しんだ後で東側に陣取って昼食タイムであった。ほどなくすると二人の中高年アベックが登場で、この男性の方が口の回転がよく威勢が良い。わたしから「白山も見えて今日は山日和ですね~」と歓迎気味に挨拶すれば、いきなり「エ~、白山はどれですか、どこどこ、どこですか・・?、あ~あれですか、あの白山にテントで何度か行きましたヨ!」とのことで、こちらがびっくりであった。それでも「テン場は・・?」と質問気味に水を向けてみると「エ~とナンリュウーというとこやったかいな・・?」との話しぶりからこれは事実かな・・?、と半信半疑で聞いてしまった。

 その方の話は次第に大きくなりだしたが、わたしのこれまでの経験上から山人の自慢話は話半分にして聞こうと思い直して相手していた。滋賀県下からの方のようなのに武奈の隣のコヤマノやツルベの山名の話が出ても、「その山はどれ・・?」状態なのだから、得意満面で話される内容は大風呂敷かな、としか最後まで思わざるを得なかった。
 いずれにしても人は千様万様であり、これがまた社会の面白いところだろうと思料しながらおしゃべりを楽しんでおこう。さて、本当であればバス時刻が畑発16:09と山の間はたっぷりあるのだ。もっと長い間山頂で時間調整し、2時間もあれば充分であることから13時半ころにでも降り始めようと思ってはいたのだが、次第に寒さが身に堪えるようになったことから、コースは予定通り畑へ下ることとしようと「元気で山歩きを楽しんでくださいね。」と挨拶して別れることとした。

 下山しかけてすぐに枯れた果実をいっぱい下げているズミの古木を何気なく見上げたり、シダのマンネンスギの大群生を眺めたりして降りていたのだが、比良縦走路を下山し始め、「これなら早すぎるナ・・」とのんびり樹木観察しながら下山としようということで三ノ谷を下ることした。
 最初こそ日当たりが良くて残雪はほとんど消えかかっていたのだが、次第に日陰地多い個所が出だして残雪が見られるようになってきて、この三ノ谷歩きが当たりだったようだ。こちらの三ノ谷降りの最後は滝谷ノ頭あたりのピークへ斜面をわたしは登って行くのだが、その前に最後の三ノ谷で咲いているはずのキンキマメザクラを確認すれば、さすがにまだ3月中旬だ、蕾硬しの様子であった。観察はこれを最後に縦走路に戻ってボボフダ峠より畑への道に入った。

         
 ブナ イヌシデ   オオイワカガミの大群落まだまだ先  ホオノキ  アカイタヤ

 ここ三ノ谷は大好きな散歩道であり、本来であれば花時のみならず、もっと沢山の積雪時にも歩きたい谷であるのだが、広くなる頃の雪原時にやってこようとすれば、どうしてもアクセス思わしくなく、容易ならざるものがあるのだから致し方ない。

 
 残雪の春山もなかなかいい

 ボボフダ峠道の前半はホイホイと下るも、後半の沢音が聞こえてくれば次第に道は難路となってきだす。それは林道が近くなるほど沢と踏み跡がややこしくなってくるのだ。しかし、その状態は近年悪がたまりしているようで、わたしは難なく歩けるが、慣れない方にはやや注意して歩きたい道となろう。
 そしてのどかな畑集落へ帰り着きバス停(15:20~16:09)のトイレだが、この暖かい日が続いているにもかかわらず、「凍結防止のために使用禁止」と張り紙のままであった。「え~もう凍結は心配ないのでは・・・?」の感じであったが、公衆トイレの管理にすら目が届かないほどの山里であったが、あたりにはショウジョウバカマの咲き初めが広がっており充分に心慰めてくれた。

 さらには、長時間待った挙句に乗ったバスだったがコミュニティーバスでJR高島駅まで今時220円とはこれは超安かろう、有難い。世の中何かにつけていろいろ、不便、安い等様々だネ・・。でも、ゆったりのんびり今日も一日心豊かな山旅が終えられた。ニコ

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