京都北山 愛宕山大杉谷左岸登高 ’19.1.1 曇のち晴

 清滝-空也の滝-大杉谷左岸-愛宕山三角点-愛宕神社-水尾岐れ-西尾根-保津峡

 本年の初登山は難路で知られる大杉谷左岸からの愛宕山を2年ぶりに登ってみようと出かけた。しかしながら、昨秋の21号台風被害の心配どうりとなってしまい、大変な初登りとなってしまったのだが、結果として笑っちゃうHPが編集でき、そしてアクシデントに遭うこともなく下山できたのでよしとしよう。今年もこのような面白ろHP受けする内容としたいが、さて、どうなる一年とすることができるのだろうか・・?

     
 空也の滝     ヒグラシの滝

 さてさて、清滝を8時過ぎに歩き始めたのだが、半時間も歩けば最近の登山内容では経験したことのない有り様で、あたかも冒険野郎化してしまったのだ。その穏やかな時間は最初の空也の滝へのお詣りだけだといっても過言ではないだろう。いつものように滝から戻って鉄パイプの橋すぐ右側から登り上げよう。ここで写真は終わって後は二股までその余裕は全くなかったのだから我ながら呆れてしまった。

 登山口から上を見上げるとどうやら最初の倒木が見えるが仕方ない。そばまで上がってこれは通過はできそうにないために倒木手前の上へ激登りでやっつけよう。これが今回の倒木回避の冒険が最初であり、大杉谷一般道まで結果として10回以上は充分ジャングルのサバイバル行為をやっていたことになるだろう。

 その先の空也の滝上あたりでも何度も倒木回避の繰り返しである。こんな大杉丸太の上を越すたびに万一滑ってしまえば谷への滑落は間違いない。このような所で滑落すれば白骨化することとなり、もう捜査の範疇を越えてしまうだろう。そんな危険な個所を何度も繰り返してようやくヒグラシの滝が近くなってきた。

 その滝手前である第一ベンチ出合で、沢筋には枯れきった大杉倒木がまだ道を覆っていた。この箇所は2年前の1月中旬に発生した1級寒波時の大雪での倒木である。その大倒木も葉こそ枯れ木ってないのだが、枝がそのまま残っており、渡渉して迂回を余儀なくされるのは2年前と同じで、岩のある沢へのドボンに対するヒヤヒヤもんの迂回に変わりなかったが、前に通過済だからそう心配なく、ここでようやく写真を撮る余裕が出て来た。

 どうにかヒグラシの滝へ上がると、前回は倒木だらけで全く近づくことはままならなかったのだが、倒木が枯れてきたためだろう、今回はなんとか滝つぼまで降りて行くことができた。これならこの後はそんなに台風被害はなかろうと前進したのだが、どっこいそんなに甘くはなかった。短い10mほどの今日の滝の落ち水はそんなに元気はなさそうに見える。心静かに眺めたのは1分にも足りないだろう。ゆっくり落ち着いて流れを楽しむ心のゆとりは決してなかったといえる。

 まだこの後が待っていると上がって行けば、小さな古い堰堤であり左股を見送って、そばの右股方向へ右折して上がるのだ。だが、すぐに細い道へ左折し、前回土砂崩れ地はその後踏み固められたのだろう。その箇所は危険度も薄らぎ難なく通過してやや登った後を降れば小さな枯れ沢を渡る。先は小さく登り左折気味に上ると目の前に大倒木がドッカンとなっていたのだ。

 これが後半の最大の倒木被害の始まりでその後も連続した。それでも植林の中の細道が突き当たる。左岸道を外れないためには、ここが大事な分岐点である。初めて左岸を歩く人はほとんどが右へ進んでしまうので要注意箇所と知っておこう。いや、もうこの左岸道は利用はされそうにないから道は覚える必要はなさそうだが・・?。笑 これを右へ上がって行けば月の輪寺への方角だが最後は道は消えてしまうのだ。

 そこで左岸ルートへはその突き当りを左へ下ると谷の二股地なのだ。このあたりになってからでもまた倒木が多くあって邪魔ばかりである。疲れもあったのだろう。「ここまで、えらい被害地に突っ込んだもんだ。」と今頃になってから弱気虫が頭をよぎる始末であった。
 「そんなばかな、引き返すには遅すぎるというもんだ。もう半分以上は来ているだろう。もっともその二股地からは左への大杉谷一般道の第三ベンチへトラバースすることは可能だが・・。バカ目!、大杉谷左岸をやってるのなら前進より道はないぞ!」と一人二役の心の会話が悲壮だった。そうこうしている間に二股にようやく着いた。ここまでくればもう大丈夫だろうとようやく一本立てようと、それでも休憩は3分ほどでポカリを一気に飲み込んでいた。 

 
荒れるに任せた二股地 

 さぁ、再開だ!、ところが真正面にはまたもや倒木が行く手を塞いでいた。右は濡れ光る岩場だから向えない。やむなく倒木の枝葉を引っ張りながら進もう。「ギェー、またまた倒木攻めか・・泣きたくなるがこちらも攻める以外にないのだ。」でも、この後は植林帯で倒木はそう多くはなく二股から僅かで大杉谷左岸道終点地の大杉谷一般道第4ベンチ上に何とか乗り上げることができた。

 
左岸道終点、第4ベンチは右下にあり  

 大杉谷一般道の第4ベンチに下がって座ることなく、伐採木の散乱する地から立派な道に上がったところで、腕を覗けば空也の滝下の登山口からほぼ2時間もかかっていた。これはこれまでからの倍近い道のりだった。だがこれだけの台風爪痕であれば仕方なかろう。ただ、これでは当分左岸ルートを踏む岳人はまずなかろう。すると廃道化がさらに進むことになることだろう。と悲しいなぁ、左岸へはこれからは入れないのか・・?、と、またまた自然災害の悲惨さに一人呆然と立ち尽くす男がそこにいたのだ。

 ちなみに、この第4ベンチ場からの大杉谷左岸道は、15年ほど前に山好きな方が大杉谷道を専門にほぼ毎日のごとく道整備されていた時にその方と一緒に降って教えてもらった。その方は小柄なるも元気で高齢な足の速い男性だったのだが、その後はもう10年くらい前から姿を見かけることはなくなってしまった。
 当初は道の整備中にこの第4ベンチと第5ベンチの付近あたりを桜の森としたいと寄付を呼びかけられたのだ。そして最初は桜10本を植栽された「桜の園」だった。ただ、適度な沢がなく水が乏しいのが響いたのだろうか。桜はそう育つこともなかった。それでもその後には最後の1本が咲き残ってきれいだったのが忘れられない。現在では前面の木々も成長して市街地の展望を隠すようになっており、園の桜はみな枯れてしまい、もう桜の園の印の桜が残っていないのが実に寂しい。
 そうそう、大杉谷一般道下の方の第1ベンチそばにクリンソウを植えて育てた方でもあったのだが、そのクリンソウの命もそう長くはなかった。水や日当たりなど花の命には厳しい自然の地だったのだろうか。短い花の命だったクリンソウ地や左岸道の廃道化など、その男性の名前はもう失念したが、お世話になったその方を思い出して悔やまれるが懐かしい愛宕の思い出のひとつふたつだ。。

 さて、本日のお目当て大杉谷左岸道はこれで正真正銘の「お終い」だろうか・・?、とりわけ今回の台風被害は空也の滝下登山口から第1ベンチ出合までの間が最大の倒木の連続であったのだ。その後は最初よりやや軽めの感じとなるも、いずれにしても相当危険個所が出現するために安易なチャレンジは止した方がよい。

 いずれにしても廃道化はなんとしても防ぎたい一心だが、危険と安全の交換となる歩きとなるのは間違いなさそうだ。いや、廃道・・?、そんなことにならないことを祈ろう!。でも、なんとか気を取り直してまずは愛宕三角点へ行ってみよう。もちろんジープ道からの比叡山や比良山系の眺望も楽しもう。するとなんとか肉眼では見られ満足な比良、伊吹に霊仙、御池などの山の白銀踊る峰々が広がってくれていた。

         
 ジープ道からの比叡に比良山系   愛宕山三等三角点左上には蓬莱山     愛宕山の三角点地から見る比叡比良方面

 そして本来であれば三角点地から芦見谷を降って竜登口から急登の東尾根より竜ケ岳に登り、滝谷から地蔵山への三山をやっつけて明神峠へ下り、そして明智越から亀岡まで縦走したかったのだが、明智越は土砂崩れ発生ありのようで、さすがにそこまでの心の準備はできていなかった。そういえば何度もやっていたそのお正月限定のマイロング縦走をしなくなってから、もう何年になるのだろうか。それを調べて見れば6年前だから思い出の彼方となってしまったようだ。

 愛宕神社にももちろんお詣りである。そしていつもの愛宕の「阿多古祀符 火迺要慎」の御札はご近所の分も頂こう。-1度でそう寒くはないのだが、ストーブ小屋でゆったりとお昼(12:00~50)だった。そばに座られた方は服装から装備まで山慣れた方だなと見受けた方と見たので「どちらのコースから上がって来られましたか・・?」と尋ねると、「岡山から昨日娘達と京都へ、毎年来て子供らは観光で私だけ山歩きを楽しんでます。今年はなんとか高島トレイルも歩きたい・・」とのことで、話はアルプスの山まではずんでしまった。「下山はツツジ尾根から米買道の落合へは荒れているようだから荒神峠(庚申峠)まで降り、そして右折して水尾へ下山します。そして車道を保津峡へ戻ります。」となかなか詳しく調べておられる方だった。
 わたしに「どちらから上がって来たのですか?」とのことで「あまり人の入り少ない大杉谷左岸を登ってきました。下山は水尾分かれから西尾根を下ります。」と話して女性が先に下山されるのを昼食を食べながら「お気をつけて!」と見送った。もちろん名も所もお互いに名乗らないで別れた。その後のわたしは本日の雪の状態ならばアイゼンは不要だろうとザックに沈んだままだったが、大抵の方々はカチャカチャと階段を下りておられた。

 そして愛宕さんの不思議な話(16年1/1)の中にも出てくる三の鳥居である青銅鳥居の柱に刻まれる「神使いの猪」を、丁度今年は年回りの亥なのだからご加護は特別だろうと期待して手で入念に撫でまわして手篤いご加護を期待した。さらにそのそばには小さな岩を囲った注連縄があるがこれは「上の亀石」を祀っているらしい。この上の亀石にも手を合わせてから下山にかかることとした。なお、上の亀石に対し「下の亀石」もあるのだが、その話は15年10/13で書いている。

     
神使いの猪      上の亀石

 愛宕さんの不思議な寓意を楽しんだら、気持ちを切り替えて下山に取りかかろう。山歩きの中での事故は約70%が下山中に発生すると統計が物語っているらしい。この下のこれまた歴史ある黒門をすぎ、水尾分かれの東屋までは不規則な石の階段状の道が続く。ここまで誰でもが足を使って疲労がたまっているハズ、慎重なる足取りで降りて行きたい。わたしは今回は水尾分かれからは表参道でなくて西尾根コースを下るのだ。

 
 水尾分かれの東屋

 この西尾根はなかなかの急坂下りが続くことで知られる。それに加えて下部で鹿除け柵が設置されたりしたために余計に歩きにくくなり、最近人の入りは極端に少なくなっている。昨今この西尾根の中で人の姿に出会ったことはないに等しい。ところが、元旦の今日はどなたかお一人が上がってきてた踏み跡があったのだが・・。そのようなことから倒木や枯れ枝の散乱等多く、足元は極めて歩きづらくなっている感じであるので充分に注意が必要だろう。

 しかし、それも米買道の交差する大岩までだろう。その大岩と表示ある地へ14時ころに降りて写真を撮っていると上のストーブ小屋で昼を食べながら話し込んでた岡山の女性が、話してたとうりに一人で庚申峠から降りて来られたのにまたしても出会った。その方とは余程のめぐり合わせなのか偶然の出会いとなった。「水尾集落までは近いですが、初めての方なので倒木もあろうと思いますが充分注意して歩いてくださいね。JR保津峡駅でまた会いましょう!」とお別れした。

 こちらは大岩からの続く道は昔からの踏み跡がしっかりしており、初心者コースだから大丈夫である。もちろんP366の標高点の標示が新しいがこの前後以降はルンルン歩きを楽しみながらの歩きだった。そして水尾からの車道に下山したら今度は車にも注意して駅まで本日のハイクの余韻を楽しみながら保津峡駅到着となった。

 
 ピークハンターさんの標高点板 

 

駅(15:50~16:14)へ着いても件の女性の姿はなく、ゆっくりと後始末をして一本電車を遅らせたが、岡山の方はまだ帰って来られなかったのでこちらはそのまま電車の人となった。それにしても今度はあまりにも遅いな、まぁ、ひょっとしてアクシデントでも・・、とか思いながら電車に乗っていたがどうしようもない。笑

 最後に本日歩いたトラックは下記のとおりで↓画像をクリックして拡大画像でご覧いただけます。

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