京都北山 西尾根から愛宕・地蔵山 ’19.1.24 曇

保津峡-西尾根-水尾岐れ-愛宕神社-三角点-芦見谷撤退-ジープ道-地蔵山往復-愛宕石段下小屋-西南脇道-水尾-保津峡 

 久しぶりの愛宕三山を歩こうと出かけたが、予定の芦見谷が猛烈な台風被害となっており、結果として竜ヶ岳へはオミットとし二山しか登れなかったのが悔やまれた。歩く計画は三角点地から芦見谷を下り、竜登口から東尾根を竜ヶ岳へ登って、滝谷から反射板より地蔵山へ登るつもりだったのだが・・。シュン

 さて、保津峡(8:20)では神社への水運びの方と二人しか下車しなかったが、その方はツツジ尾根から登るとのことで赤い保津峡橋で左右に分かれた。こちらはいつもの西尾根を登るが、この道も取り立てて話題はない。鹿除け柵が終わって倒木が次第に多くなってくる。最初の大きな炭焼き釜跡あたりから足元が白くなりだしたが、白粉程度の雪では支障はない。二つ目の小さめの窯跡まで上がれば、大きくなったヒイラギがあったハズと枝に被る樹々をストックで払いのけて探そう。

 この種の幼木はどこでも多く見られるのだが、3~4mと成長したヒイラギを見ることはまれだろうとわたしは思っている。このヒイラギは珍しく結構大きく成長しているのだ。この木であれば花も咲かすことだろう。しかしながら、このヒイラギの開花に出会ったことはない。もっとも雌雄異株の種だが、この個体は♂♀を確認はできていない。今年の開花時(11~12月)には、特に雪が来ないまでの11月から12月上旬まで足しげく登って詳細な観察としたいものである。

 
雪を払いのけたヒイラギの葉の姿 

 ところで、わたしは釣りの趣味はないが、樹木と同じ名を持つ魚には興味を持っている。ちなみに現在まで知ったその種は次の通りだ。「それなら他にも有るヨ!」とご存じの方があればお教えいただければ嬉しいのだが・・、とこの願いは相当長い間載せているが教えの一報はまだない。それは、カマツカ・ゴンズイ・キハダ・ハギ・サワラ・ヒイラギ・タラの七種である。

 今回のヒイラギも樹木にも魚にも名前がついているのだ。どうやら、魚のヒイラギには棘があって、この棘が樹木のヒイラギの棘と同じように刺すと痛いことからの名の謂れのようだ。わたしはその魚もまったく知らないのでWEB図鑑で見ると10~15cmほどの小型魚で波止場あたりでもよく釣れるらしい。

 二つある上の窯跡まで登ればすぐ上が杉の植林帯になって、ここは横幅が広いが南北は短いためにすぐに東屋のある水尾分かれに到着する。表参道のためにここまで来れば他のハイカーに必ずと言っていいほど出会うのだ。今日も二人連れが小屋に入って休むところを見かけた。

 すぐの花売り小屋を過ぎて黙々と登って行こう。すると立派な大木の杉の木の前あたりに着けば、さぁ、黒門を撮ってくださいと言われているような気がして、わたしは黒門をここが撮り場所と決めているのだ。門のかたわらには京都愛宕研究会の立て看板が立つ。

 
愛宕の黒門は由緒ある歴史を持つ 

 その中には「黒門は京口惣門とも呼ばれ、白雲寺の京都側の惣門、ここから寺の境内に入る。愛宕山は江戸時代を通じて神宮寺の白雲寺が実権を握り神仏習合の山であった。しかし、慶応四年の神仏分離令により白雲寺は破却。この黒門は境内各所に残る白雲寺の名残の一つである。」等の謂れがあるようだ。

 社務所あたりまで上がっても雪は薄い。今年は予報どおり温暖化のようだ。愛宕神社のストーブ小屋入口に下がる温度計は-4℃だったが、お参りを済ませたが、今日は後が待ってるので、ストーブはパスとしよう。いつもどうり大杉の倒木が邪魔する白髭神社からジープ道に降りて三角点へ向かおうとするが、雲厚く展望はないに等しい。地蔵辻を右折し三角点地へショートカットであった。もちろん誰も姿はない。昼は滝谷でと考えているのでさっさと芦見谷へ降りよう。

         
 愛宕神社社務所前の灯籠の雪も少ない    愛宕神社石段の凍り具合もほとんどない   三角点3等890.5m 

 ところがである。入口下の水場でもう倒木が現われてしまった。このような状態を目の当たりにすれば、元旦に大杉谷左岸で懲りた身にとっては、速やかに潔く撤退を決めた。コッフェルで一口飲もう。ところがここの水場はいつになく細くなってしまっていた。以前はとうとうと流れ出ていたのに残念である。これも地震や台風被害等によって地下水の流れが変わったのだろうか。以前は裏愛宕を歩き回る時にはいつもここでペットボトルに確保していたのを思い出していた。

     
奥がひどい芦見谷の荒れ様    細くなった芦見谷の水場

 やむなく登り返してジープ道を歩きながら、、三山は止めにして地蔵山との二山にしようと考えてしまった。途中で樹氷を期待したが、こんな寒さでは樹氷はないだろうナ・・。と思った通り冬枯れの木々ばかりであった。さすがに地蔵山への道も一般道はしっかり樹々の整備はなされ、トレースはないがアセビのトンネル状態とはなっていなかった。

         
反射板下の樹氷は残念・・     地蔵山1等三角点947.3m   アセビにつく北山で一級の山名札

 1等三角点の地蔵山だが、山頂にはいつものピークハンターさんの標識が新しかった。ここで半時間ほど震えながらお昼としたが、誰一人やってくる気配はなかった。もちろん、越畑から雪の中を登ったことを思いだしていたが、まだまだ倒木だらけだろうから、とてもではないが北へは向えないだろう・・。などと思いながら、それにしても京都滋賀の山々へは台風被害があまりにきつく、3年ほど前の登山道状況とはひどく大きな違いとなっているのが悲しい。やっぱり地蔵山へのこのような一般道の往復では全く物足りないが今日はこれにて終わろうとする思いの自分が情けない。

 しかたなくジープ道をまた戻ると、キャタビラだろうか、道がぐちゃぐちゃになっていたが電柱の工事家さんだろう、と思いながら戻れば、騒音がして小型のキャタビラが道具を乗せて一人が運転し、4人が後ろに従って付いてきていた。若い人ばかりだったが、ここまで登って来るだけでも大変な仕事だろうにと大声で「ご苦労さんです!」と挨拶とした。

 天候も捗々しくなく、ハイカーの姿も引き返したころの社務所前あたりの通りには数えるほどの姿しかなかった。こちらの下山予定は神明峠だったが、「西南脇道」の水尾へのコースをこれまた久しぶりに降りよう。最初は雪はあったが、第一ベンチあたりで雪はほとんど薄くなって第二ベンチ以降は消えてしまった。

 
愛宕で数少ないイヌブナ

 以前に三角点での鍋の集まりのために、保津峡より亀岡ハイキング道から高瀬山、清和天皇御陵から水尾へ降り、ここを登った時には、「重いザックを山中の杉林の中に放り投げたろうかな・・」と思った苦い経験が古くなったが、思いだし笑いしながら下山していた。
 もちろんこの道への台風被害も相当あったハズなのに、チェンソウ使用でしっかり整備も済み、快適に歩けるように手入れがなされていた。すると最後は水尾参道に合流するのだが、文字の消えかかった看板には「農林道行き止まり」と昔のままでいまだに標識が立っているのだが、どうしてこれだけ整備された神社へ一番近い道なのに現行維持しないのだろうかナ、と思うのだが・・。

 生徒のいなくなった水尾小学校跡から集落を縫って米買道入口の看板地に降り、車道すぐで右への散策路を歩きながら保津峡への帰路とした。あぁ~今日ほどつまらない愛宕歩きはなかったなとの思いで電車(15:30)に乗ったのだが、さらには嵯峨嵐山からの多くの観光客の大声で居眠りすらもできなかった。。涙

 

ホームヘ

190130.htmlへのリンク

inserted by FC2 system