サフランモドキ・オグラコウホネ ’20..6.20 晴のち曇

 知り合いより「サフランモドキが可愛く咲いてるヨ~」と報が入るも、梅雨の強い雨が続く。それでもしばらくで梅雨の晴れ間となってくれ、なにわともあれサフランモドキ見へ急ごうと出かけてみた。ところが、満開時からしばらくは経っていたのかも知れない。それに、今朝がたまで続いていた強い雨に打たれたのだろうか・・。可哀想なくらい花はうち萎れて無残な姿となって見るに忍びない姿ではないか。すぐに事情を伝えて、先に送信して頂いてきれいな画像の借用許可を得たのだった。その花がこれだった。↓

 調べると、サフランモドキなる花はジャマイカ、グアテマラ、キューバ、メキシコの原産のようで、江戸時代末に日本に渡来した当初は、本種は本物の薬用のサフランであると誤認され、そのためにサフランで呼ばれていたのが、明治の初めになって誤りであることが知られ、サフランモドキの名で呼ばれるようになった。同じくヒガンバナ科のタマスダレの仲間のようだ。

 花は6cm前後で茎が直立し花は上を向いて咲くとあるも、今回見たものはみな倒れたものばかりであった。多年草とのことだから来季には再訪したいものだが、どうやら開花時期が周辺の草刈りと重なりそうなことから、満開時を狙って足しげく通う必要がありそうだ・・。

 
 サフランモドキが急斜面に華やかに乱舞してる~

 京都府南部に昔あった巨椋池にあったコウホネがオグラコウホネ(スイレン科コウホネ属)といわれていたのだが、そもそも、巨椋池とはウィキペディアによると次のようにある。

 『豊臣秀吉による伏見城築城期の築堤をはじめとする土木工事などにより時代によって姿を変え、最終的には1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)にかけて行われた干拓事業によって農地に姿を変えた。干拓前の巨椋池は周囲約16キロメートル、水域面積約8平方キロメートルで、当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖であった。 』

 以上のような大きな池の植物のひとつとしてオグラコウホネがあったのだが、干拓事業によって農地に姿を変えられたことから今はその姿はない。しかし、その巨椋池という名は現在でもまだまだ忘れられていないことだろう。

 まず、コウホネ(和名は河骨)だが、この名の謂れには諸説あるようだ。一説には、川辺に生え、ワサビ状の白い地下茎が白骨のように見えることから、「河の骨」の意でこの名がついたとされているらしい。その内のオグラコウホネは本州(中部地方以西)~九州で見られる日本固有種であり、浅い沼や池、小さな流れの水中に分布する多年草である。京都府でも現在生育が確認できる場所はきわめて少ない種で、RDBの京都府カテゴリーは絶滅寸前種となってしまった希少種であることも知って大事に見守りたいものである。。

 
乙訓のわが街でも希少種オグラコウホネ満開となり~ 
     
水上葉は長さ8~14cm、幅6~9cmと花は径2~3.5cm    花の外周の5枚の花びらのように見えるものは萼片 

 河川敷を巡ると、森の中でトウネズミモチが大きな花序をつけてひと際目立っていた。なお、この種にはネズミモチもあり、その名の謂れは果実の色や形がネズミの糞のようで、葉がモチノキに似ることからの名のようだ。ただ、トウネズミモチの方は中国(唐)原産からの名である。なお、日本の自然種であるネズミモチの方の葉は、日にかざしても脈が透けては見えないのがトウネズミモチとの相違点でもある。

     
トウネズミモチは多くのツボミを広げ目立つ    その証は葉を日にかざすと葉脈がクッキリ見える 

 野草はアレチハナガサが大群落をつくっていた。、またヒメジヨオンの仲間の雑草も多数見られ、それに交じって20cmほどの小さなハナハマセンブリが淡紅色で可愛らしく一人勝ちしているような花だった。その点ハンゲショウはそう目立たず地味目のように見受けた。

     
 ハナハマセンブリはリンドウの仲間   ハンゲショウ夏至のころ葉の半分程白くなり~

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